現代につながる
2019/1/22
平成30年も終わり、1月も気づけばもう下旬。
世間では昨年からなにかと平成最後の・・・といったような言葉が、あらゆるメディアや行事で使われているのを見聞きしますね。
平成生まれの私としては、なんだか信じられないような気持ちと、自分の生まれた時代が終わってしまうのだという寂しさや年号が変わるという未知の体験に、新しい時代はどうなるのだろうというような、期待と不安が入り混じっており、少し複雑な心境です。
年末年始には弊社でも休暇を頂きまして、私もそのほとんどを実家に帰省し、ゆっくり過ごさせて頂きました。
ただそれだけでも勿体ないので、長期休みを利用し、友人の実家が鹿児島にあるということで、友人の案内で鹿児島へ行って参りました。
鹿児島に到着し向かったのは、桜島の雄大な景色が望めることで有名な 仙巌園 です。
今回私は初めて訪れたのですが、つい先日まで放映されていた、大河ドラマ「西郷どん」のロケ地としても知られており、観光客で賑わっていました。
仙巌園は江戸時代初期に、薩摩藩主19代当主 島津光久によって築かれた、島津家の別荘だそうです。
その広大な敷地の中には様々な建物があるのですが、その中でも印象に残ったのは島津家の御殿です。
幕末明治には迎賓館としても利用されていたそうで、家具や展示品も豪華なものでした。
また、居間は鹿児島県を代表する桜島の絶景が一番映える、いわゆるインスタ映えスポットの特等席にあります。
この日は天候にも恵まれ、雲ひとつないほどの水色の空に、桜島の噴煙がもくもくと、きれいに伸びている景色を観ることができました。
また、敷地内には甘味処も。
個人的には、のれんにある島津家の家紋がシンプルでお気に入りです。
仙巌園や隣接する尚古集成館の資料から知ることのできる歴史からは、島津家が、江戸幕末から明治へと移り変わる、明治維新という大きな時代の変化をどう乗り越え、存続に至ったのかを少しですが、垣間見ることができました。
製鉄や造船、紡績といった近代産業に着手することで新しい時代への転換を図ったこと。
それまで徳川家と深い縁戚関係にあったにも関わらず、薩長同盟を結び、結果的に倒幕への道をつくり、明治維新を成し遂げていったこと。
時代の変化を読み取り、先を見据えて自ら行動した結果こそ、島津家の長い繁栄と、なによりも今、私たちが生きる現代につながっているのだと考えると、月並みかもしれませんが、感慨深いものがありました。
明治維新のような大きな時代の変化があっても、その後も移り変わっていった時代や年号。
それに伴い変化し、対応して時代をつくってきた日本人たち。
知識としてはわかっていたはずですが、改めて考えさせられました。
建築に携わってからはまだまだひよっこの私ですが、絶え間なく新たな技術やアイデアが生まれている建築業界では、常にアンテナを張り巡らせて吸収し、変化に対応しながら成長していかなければならないと常々感じます。
その中で私がいま出来ることは、時代が変わろうとも、目の前の物件や物ごとに向き合い、その変化に対応していく努力を欠かさずしていくことなのだと感じました。
今の平成という時代が終わろうとしている中で、漠然と不安に思っていた私にとっては、とても意味のあることに気づけた鹿児島での、有意義な休暇となりました。
設計部2課 青島