有ることが難しい
2019/5/31
連休に京都・奈良を訪れました。
1日目は大原で、三千院・寂光院を。
2日目は奈良で 薬師寺・唐招提寺・東大寺を。
3日目は御所・三十三間堂を。
奈良の薬師寺を訪れた時のことです。
偶然入ったお堂で、お坊さんが、ありがとうという言葉の由来について、お話をされているのを耳にしました。
お釈迦様が弟子に尋ねました。
「果てしなく広い海に目の見えない亀が一匹いて、100年に一度海面に顔をだす。
その果てしなく広い海に、真ん中に小さな穴の空いた一本の丸太が漂っている。
100年に一度海面に顔を出す亀がその穴に頭を入れることが有ると思うか。」
「そんなことはありえません。」と弟子は答えました。
「絶対にないか」とお釈迦様が再度尋ねました。
弟子は、「何億年か何兆年かの間には、頭を入れることがあるかもしれません。」と
答えました。
お釈迦様は、「私達が人間として生まれることは、この亀が丸太の穴に頭を入れること
が有るよりも、難しいことだ。」とおっしゃったそうです。
有ることが難しい ⇒ 有り難し ⇒ ありがとう という風に変化してきたそうです
人として生を受け、生きている。なにかの縁でここにいる。(袖すり合うも他生の縁)
すべての日常が当たり前と思うのではなく、ありがたいと感謝持って生きていくことが
大事なことなのです。
若い時なら、素通りしたかもしれませんが、耳に残るような年になったということで
しょうか。
それでも、お釈迦様のような境地に達するには、何億年かかることでしょう。